深夜邂逅

芋づる的思考を垂れ流す

2023-04-12

2023-04-11
今日は2時頃目が覚めてそこから起きている。5時頃までは横になっていたが眠れそうになかったので活動開始した。朝早く起きる習慣はついたものの、朝早く起きすぎてやることがなく、朝から読書する気にもなかなかなれず、タバコを吸い、ぼんやりして、やる気がありすぎて困る時は朝カフェする。今日もコメダに来ている。なにか出来たらいいけど特にしたいことも無くぼんやりしている。この所もう少し働けるかも、、と思いながらなんだか作業にも飽きてしまって、2時間ほどで帰宅することが増えた。前は6時間作業できたのになんだか不甲斐なく感じる。自分で自分のできることを制限してしまっている。1度調子を崩してしんどくなってしまったことで自信をなくしているのかもしれない。自分のしたいようにできるはずなのに自分で限界を決めてしまっているような気がした。昨日は午前中は歯科に、午後からは作業所に行った。やっぱり疲れやすい。徐々に体力が戻るだろうか。昨日は程々に疲れていて、風呂は明日入ろうか否かと少し悩んだが、どうせしなければならないことを後回しにしても、風呂がめんどくさいという気持ちだけが強化されて、余計風呂嫌いになってしまう気がして、さっさと入ろうと風呂のボタンを押した。風呂が沸くとあのメロディーが聞こえてくる。それを悪魔のメロディーだ、沸きやがった、と苦々しく思っている。
太宰治のもの思う葦を読んでいる。なかなかに面白い。自分は太宰作品では津軽が好きで、人間失格のイメージだけで太宰がいわゆるクズメンのように捉えられているのが少し悲しい。明るかったり楽しかったり、そういうことも太宰にはあった。残念な死を迎えてしまったけど、自分は太宰をクズと割り切ってしまうのはつまらない。どうしようもなく優しかったのではないかと思う。自分の不甲斐なさとか至らなさとか常に心に持って、でも些細な喜びを見出していきていたんだなぁと思う。多分太宰が好きなのは自分がそっち側の人間だと思っているからだろう。文才は無いが、言っていることは何となくわかるのでたぶん、そう。カート・コバーンとかレインステイリーとか、どうしてかそっち系が好きだ。やっぱそっち側なんだろうな。どうしようもなさがある人たちで、才能のわりに同情を禁じ得ない人達で。堕落でもなく、ただただ傷つきやすい心を名にでごまかすことしかできなかったんだろう。でもまぁ、そっち側と言っても、自分は才能などないし、わりと真面目に生きているつもりではある。まぁ、良い。
大人になるにつれ知恵がついて、何かしらをがむしゃらにやるということが減ってきた。自分の限界もそういうので作ってしまっているのかもしれない。やりたいからやる、やりたくないからやらないという、すごく単純なことが出来なくなっているような気がする。世の中がそんなに単純でない子をと知っているから、おそらくそうなってしまったんだろうとは思うが。若い時のように一生懸命何かをするということが減って、少し寂しい。そういうものなのかもしれないが。仕事にも懸命に取り組めば、少しはそういう気持ちの面も良くなると思う。人が煩わしいというのはあるが、全く楽しくない訳では無いし。やりがいが少ないなとは思うが。工賃も安いし。ただ、今なにか仕事と思っても、6時間働けないので自信が無い。少し作業所の時間を伸ばしてみよう。できることからやって行かないとあとが辛い。できることを増やして言った方が良い。少し頑張ろ〜。