深夜邂逅

芋づる的思考を垂れ流す

2023-04-16-2

このところ楽しいと思うことが減った。嫌なことを色々思い返してばかりで心が晴れない。じゃっかん鬱なのもあると思うが、それだけではないような気もする。言いたいことを言えなかったことや自分が不当に扱われていると怒りすら露わにできなかった後悔が心の中に鬱積して、しかもそれを、つまらないことでいつまでもクヨクヨするのはやめようと制するから結局そのモヤモヤは晴れることがなかった。先ほどの日記で自分を受け入れていこうと書いたが、それから考えて見ると、自分を制さずに思うまま感情を実感すれば良いのではないかと思う。そう言うことを考えることが時間の無駄だと言う人もいるだろうが、自分が何に怒り、何に対して不満に感じるかはっきりさせておくことは自分を知る上では大切だと思うし、深く後悔や怒りを受け止めないことには次回同じようなことがあった時に心に残っていないと対処できないのではないかと思った。まぁ良いかで済ませられなかったからいつまでも心に残ってあとあとしんどくなるのであって、それがいちばん根強く残る感情のしこりなのではないかと思う。モヤモヤすることを減らそうと思った。思うままいて、思うままに自分でできることをして、反省したりして生きていけば今より悪くなることはないのではないかと思う。

まだ十代や二十代の頃、自分が思うままに過ごしていた時はモヤモヤすることもしつこく後悔することも怒り続けることもなかった。人を傷つけるような失敗はいくつかしたが、取り返しのつかないようなことはそんなになかったと思う。最低限人のことを考えたらあとは好きにして良いし、何をしよう何を考えようと制限しているのは自分の中にあるルールであって、ひとつひとつ本当にそうなのか自問していけば、自分には必要に縛りをつけることなく、今より自由に生きられるのではないかと思う。これからしばらくは過去の感情を出し切るまで、あれやこれやとしんどいことばかり考えるだろうが、気持ちを出し切って仕舞えば、たまに思い出すことはあっても歯切れは良くなるのではないかと思う。思考をあっさりさせていくには、どうしても今溜め込んでいることをできるだけ出して少なくしていくしか方法はないような気がする。書いて書きまくって捨てていこうと思う。これまでそうして嫌な思いを溜めていたから、しんどくなったのであって、すべてが鬱の気分のせいだけではなかったように思う。自分のここ数年での自分の思いを否定してきたから、その期間のストレスが解消されていないのだと思う。実際はどうなのかわからない。いつまでもクヨクヨ考えていることは自分が選択しているから尾を引いているだけなので違うことを考えた方がいいと言う人もいるが、自分は思いを出し切らないと消化不良を起こすと思う。

考えようとして嫌なことが出てくるのではなく、何かを思案した時に芋蔓式に出てくるのだから無意識としか言いようがない。思い出そうとして思い出しているのではない。意識的に考えていることがすべてなら寝ている間に夢など見ないと思う。モヤモヤをできるだけ出したら、悪夢にうなされることも、夜中何度も目が覚めることまでなくなるのではないかと思った、とりあえず実験的ながら自分なりにストレスに対処していこう。